りぷりんとあおば 富田晴雄
企画・原案: 黒柳 徹子
作: 柏葉 幸子 松本 春野
出版社: 講談社
私は昭和17年(1942年)2月に中央区で生まれました。(大学入る前までは1月生まれと親子ともども認識していました)
古い写真でみると、鉄砲洲に10数人の従業員を抱える大きな魚屋だったのですが、物心ついた時には茅場町の小さな魚屋になっていました。一番古い記憶は、母の実家(新潟県三島郡和島村、現在は長岡市和島村)に疎開するために乗った、上野発の上越線の車窓からおしっこをしたことです。ぎゅうぎゅう詰めの車内は移動が難しく、「おしっこ」の声に母親か誰かが私を抱えて車窓から突き出したのでしょう。今考えると随分危険な行為だと思いますが、私はその時の恐怖を覚えていません。おしめはもうはずれていたようですから、1歳半から2歳位か。生前の母に確認したことはありません。数年間この米作農家に疎開していたはずですが、降り積もった雪の上で、近所の大工さんに頼んで作ってもらったスキー板を履いて、お寺の前の坂道を手から血を流しながら、何度も滑ったこと以外記憶にありません。その時出来たしもやけ跡は今も鮮明です。同世代のお寺の息子、Y君とどんな遊びをしたか覚えていません。
次の記憶は、上京した祖母を上野駅に送った際、地下鉄のプラットフォームで、帰還兵の軍靴で足の先を踏まれたことです。痛いのなんの、数か月足爪の先がぐじゅぐじゅして、難儀しました。小学校にあがる前だろうと思います。阪本小学校に入学する前、隣接する幼稚園に数か月通いました。近所のH君が三輪車を買ってもらったのがうらやましくて、「僕も欲しい」と両親に頼みましたが、買ってもらえたのは、安い、片足でキックするスクーター(現在は、キックボードと言うようです)でした。経済格差があることを幼いながらも認識しました。
小学校の初め頃の楽しい思い出は紙芝居です。自転車の後部に木製の紙芝居道具と売り物の飴など満載したおじさんが道角に駐輪すると、鐘をならします。お金が有る時は飴を買い、近くに立ちますが、飴が買えない時はずっと後ろで話を聞きます。おじさんは話が旨かったです。山川惣治の「少年王者・しんご」などに興奮しました。プロレスが出てくる前の、みんな生きるのに必死だった時代ですが、私は両親の庇護のもと恙なく過ごしていたと言えるでしょう。
子どもの頃に絵本を読んだことも、自分の子供たちに絵本を読んであげたことも記憶にありません。絵本との接点は孫を月島の保育園に迎えに行っていた時からでしょう。彼には随分読まされました。その途中でりぷりんとの養成講座がありました。その孫も今年から大学生。何らかの影響を与えられたでしょうか。
戦中の子供たちはどう生きていたのか、悲惨さを露骨に示さず表現しているのが、2023年7月に出版された、「トットちゃんの15つぶのだいず」です。りぷりんとの活動とは別に行われている地元の小学校での父兄による読み聞かせの一環で孫も卒業した小学校の4,5年生のクラスで読んでみました。ところが、2度目の時、司書の先生から「楽しい本にして欲しい」と要望が出されました。「別の本を選ぶにはもう時間がない」と承諾してもらいました。担任の先生が読み終わったあと、「君たちだったどうする?」と問題を投げかけました。5年生の男の子が「残していた7粒の大豆を庭に植えて増やす」と答えて、教室内は盛り上がりました。10分の与えられた時間は明るい雰囲気で終了しました。その後は楽しめる本を選ぶようにしています。